
悪口や陰口を頻繁にたたく人っていますよね。
私の経験則では、自分が属している社会(職場や学校)に最低ひとりはいる気がします。※ひょっとして私だけ、ですかね?(笑)
彼(彼女)らは一体、なんなんでしょうか。
話題って、いくらでもあると思うんです。例えば、天気、事件、時事問題、バラエティ、ドラマ、好きな食べ物、趣味など。
しかし彼(彼女)らは、そのような会話を好みません。
それはなぜか。
なぜなら共感力に乏しいので、相手に合わせた話題、またはその場にふさわしい話題を提供できないから。
私自身も共感力はそこまで高くないので会話はヘタクソ。
ただ彼(彼女)らの場合、会話に快楽(欲求不満の解消)を強く求めます。
とにかく彼(彼女)らとしては手軽に欲求を満たしたい。
では具体的にどうするのか。
多くの人が関心を引くような言動をとることで、頭を使わず手軽に快楽を得ようとします。
その手段こそが、いわゆる…
・(同じ社会に属する)身近な人に対する悪口
・(同じ社会に属する)身近な人に対する嫌がらせ
共感力がないので、(相手の辛さがわからないから)平然と人をネタにすることができるわけです。
頭を使わず最短で、しかも身近な人がターゲットであるゆえに、多くの人から関心を引くことができます。
悲しいかな、身近な不幸に喰いついてしまう、人の性。
いずれにせよ、(悪口や陰口の)話し手には腹が立ちますし、やり返したくもなります。
「投げた塵は自分に返ってくる」

しかし仏教で「復讐とは愚かな行為」であり、次のように戒められています。
汚れのない人、罪のない人
法句経(ダンマパダ)
清らかな人を害なえば
その愚者にこそ悪は戻る
逆風に投げた微塵の如く
要するに「投げた塵は自分に返ってくる」
くだらない相手に復讐して、損をしては意味がありません。
あなたが善人であれば少なからず、くだらない罪悪感を抱えるわけです。
あなたが復讐を達成し、そこにくだらない快楽を見出した時、そこにいるあなたは、もうあなたじゃないのかもしれない。
それにくだらない相手に復讐したところで、得られるのはくだらない優越感と達成感。
くだらない相手は勝手に自滅します。だから放っておいて良いのです。
その人を信頼する人なんて、いないのだから。
くだらない戦いの土俵に立ってはいけません。
……。
とはいえ、当ブログでは、これと矛盾する記事がいくつかありますが……そこは何卒ご了承ください。私は悟りを開けそうにありません(笑)。
とりとめのない感じになりましたが、それはさておき。
下記は大愚和尚の動画です。具体的な思考法の解説もあり、とても参考になりますので是非ご覧ください。
大愚和尚の一問一答『悪口や嫌がらせに対する正しい心構え』